食品や環境試料のDNA分析では、DNAは抽出できたのにPCR産物が見えない、というトラブルが頻繁に起こります。DNAが劣化している、夾雑物が多い、そもそも試料に含まれるDNAが極微量——難しい試料ほど、この壁に当たります。
本記事では、コメの品種判別(SNPプライマーを用いたPCR)で5検体中2検体が全く増幅しなかったケースを題材に、「PCR反応系の問題か、鋳型DNAの問題か」を切り分ける手順と、原因にたどり着くまでの思考過程を公開します。
※本記事は弊社の経験に基づく見解であり、すべての実験系に当てはまることを保証するものではありません。
この記事の結論(先に要点)
- ポジティブコントロールが増えていれば、PCR反応系(試薬・サーマルサイクラー)は正常。
- 鋳型側を疑うなら、希釈試験が最も速く、安く、判断材料になる。
- 今回の原因と考えられたのは、粗抽出DNAを4℃で一晩保存したこと。抽出後のDNAは-20℃で分注保存し、可能な限り抽出からPCRまで当日中に完了させる。
目次
- 今回のケース:コメの品種判別(SNP-PCR)と発生した事象
- 切り分けの第一歩:PCR反応系か、鋳型DNAか
- 実験者へのヒアリングで差分を洗い出す
- 再実験①:PCRからやり直す
- 再実験②:DNA抽出からやり直す
- 結果と考察:原因は4℃オーバーナイト保存か
- 再発防止チェックリスト
- よくある質問(FAQ)
1. 今回のケース:コメの品種判別(SNP-PCR)と発生した事象
品種ごとに異なる塩基(SNP)を検出することで、DNAから品種を判別できます。1塩基の違いを検出する方法は複数ありますが、今回扱うのは、1塩基の違いによって増幅されるかされないかが決まるアレル特異的プライマー(SNPプライマー)を用いた系です。
コメのDNA分析には、1粒ずつ品種を判定し、表示品種と異品種がどの程度の割合で混合していたかを推定する定量検査があります。1粒ずつPCRするため、失敗したときの試薬と時間の損失が大きく、丁寧に作業した試験員ほど徒労感が大きい試験です。
発生した事象
同一バッチで処理した5検体のうち、3検体は良好な増幅が見られたが、残る2検体は増幅が全く確認されなかった。
2. 切り分けの第一歩:PCR反応系か、鋳型DNAか
最初にやるべきことは、原因がPCR反応系にあるのか、鋳型DNA溶液にあるのかを分けることです。そのために、PCRには必ずネガティブコントロール(NTC)と、確実に増えるポジティブコントロールを置きます。
- ポジコンが増えている → PCR反応系(酵素・dNTP・バッファー・サーマルサイクラー)は動いている
- ポジコンも増えていない → PCR反応系そのものを疑う
このとき、ポジコン用DNA自体の品質も改めて確認しておきます。ポジコンが劣化していることを見過ごしたまま切り分けを進めると、判断の土台が崩れ、原因究明が無限ループに入ります。
ポジティブコントロールでは分からないこと
ポジコンには通常、精製済みのきれいなDNAを使います。したがってポジコンが示すのは「マスターミックスとサーマルサイクラーは正常」までです。検体側の夾雑物によるPCR阻害は、ポジコンでは検出できません。ここを混同すると、正常なPCR系を延々と疑い続けることになります。
今回のケースではポジコンは増幅されていたため、鋳型DNA側に問題がないかを確認していきます。
3. 実験者へのヒアリングで差分を洗い出す
装置と試薬だけを見ていても原因は出ません。いつもと異なる操作や試薬がなかったかを、実験者に細かくヒアリングします。今回判明したのは次の2点でした。
- プライマーMixを新しいものに交換していた。その他のPCR条件は同一。
- 増幅した3検体と増幅しなかった2検体で、DNA抽出日が1日ずれていた。増幅した検体は抽出当日にPCRを実施、増幅しなかった検体は抽出翌日にPCRを実施しており、抽出後のDNAは冷蔵(4℃)で一晩保存されていた。
ヒアリングでは、試験日時、保存温度と保存時間、保存容器、凍結融解の回数、担当者の交代の有無まで確認します。「成功した検体と失敗した検体で何が違うか」を、条件表として書き出すのが確実です。
4. 再実験①:PCRからやり直す
まず、結果が早く出るPCRから再試験しました。鋳型DNAは既存のものをそのまま使用し、プライマーMixは調製し直し、実験者も交代しています。プライマーはそれほど高価ではないため、費用対効果の判断として作り直しました。
PCR条件については、まず「増える方向に思い切って振る」のが弊社の基本方針です。アニーリング温度を下げ、サイクル数を増やします。増幅が確認でき、非特異的バンドが多いようであれば、その後に条件を締めていく流れです。「増えない」状態のまま条件を微調整しても、判断材料が増えません。
また、鋳型DNAを減らした反応液も準備し、仮に夾雑物の影響で増幅されない場合にも、改善されることを目指しました。増幅しなかったDNA溶液を10倍に希釈したものも同一条件でPCRします。阻害物質が原因であれば、希釈によって阻害物質の濃度が下がる効果が、鋳型量の減少を上回り、増幅が回復することがあります。原液で増えず希釈で増えるなら、阻害の可能性が高いと判断できます。
氷上で調製する、酵素は最後に加えるといった基礎的な事項に忠実かを意識しながら作業します。今回はHotStart酵素ではないため、酵素添加後は氷上で手早く操作し、速やかにサーマルサイクラーへ移します。
SNPプライマーで条件を振るときの注意
アレル特異的プライマーは、3'末端側の1塩基ミスマッチを識別することで判定しています。 アニーリング温度を下げると、本来識別すべき別品種のアレルまで増幅し、偽陽性になります。「増える方向に振る」のは、あくまで増幅の有無を確認するための一時的・診断的な措置です。判定に用いる本番条件は、既知品種の陽性・陰性コントロールで特異性を再確認したうえで確定させてください。
結果として、再実験①では増幅は確認されませんでした。これにより、プライマーMixの交換や夾雑物の影響の可能性は低いと思われました。
5. 再実験②:DNA抽出からやり直す
今回はPCRから再試験しましたが、検体量に余裕がある場合には、経験則上、DNA抽出からやり直したほうが成功確率は高いと考えています。ポイントは2つです。
- 破砕を念入りに行う
- 上清を吸うときは、夾雑物を巻き込まないよう慎重にピペッティングする(DNA量を欲張らない。回収量より純度を優先する)
見た目が透明でも安心はできません。多糖類、タンパク質、フェノール性化合物などの水溶性夾雑物は、核酸と複合体を形成したり、DNAポリメラーゼの働きを阻害したりすると考えられています。カラム精製法でない場合は、一度精製したうえで改めてProteinase K処理を行い、再度精製するという手もあります。ただしProteinase K自体もPCR阻害要因となるため、失活と除去を確実に行ってください。
さらに今回は、成功した検体との差分を潰すため、抽出当日中にPCRまで実施しました。原因かどうか確定していない事柄も、復旧段階ではまず成功条件に揃えるのが近道です。
6. 結果と考察:原因は4℃オーバーナイト保存か
再実験②で、ようやくPCR増幅が確認されました。

図:再実験②で増幅が確認された検体のアガロースゲル電気泳動像。増幅する方向に条件を振っているため、低分子側にプライマーダイマー由来のシグナルが強く出ている。実運用ではサイクル数やアニーリング温度を調整し、特異性を回復させてから仕上げる。
成功した検体と失敗した検体の差は、最終的に「抽出からPCRまでを当日中に完了したか、抽出後のDNAを一晩置いてからPCRしたか」に集約されました。その際の保存は冷蔵(4℃)でした。
このことから、粗抽出DNAを4℃で一晩保存したことが増幅不良の直接の原因になったと考えています。想定される機序は次のとおりです。
- 粗抽出液には、失活しきっていないヌクレアーゼが残存しうる。4℃では活性が低下するだけで停止はせず、十数時間かけてDNAが断片化する
- 保存中に夾雑物とDNAの複合体形成が進み、鋳型として機能するDNAが減少する
注意点
再実験②では「DNA抽出をやり直したこと」と「当日中にPCRしたこと」を同時に変えています。そのため、原因が保存条件だったのか、そもそも最初の抽出の品質が低かったのかは、この実験だけでは分離できていません。
切り分けるには、同一の抽出液を分注し、片方を4℃、片方を-20℃で一晩保存して同時にPCRする対照実験が必要です。復旧を優先する場面では複数の要因をまとめて変えるのが正解ですが、原因を確定させたい場合は、後日この検証を行う。
運用としての結論
- 抽出からPCRまでを当日中に完了させる
- 持ち越す場合、粗抽出DNAは-20℃で保存する(冷蔵で一晩置かない)
- 凍結融解の繰り返しも劣化要因になるため、1回の使用量ごとに分注してから凍結する
- 保存する検体は、溶出バッファーからTEバッファー等に置換しておくと安定しやすい
7. 再発防止チェックリスト
「PCRが増えない」ときに、上から順に潰していくためのチェックリストです。
| 確認項目 | 見るポイント | 対処 |
|---|---|---|
| ポジティブコントロール | 増幅しているか。ポジコン自体が劣化していないか | 増えていなければPCR反応系を疑う |
| ネガティブコントロール | バンドが出ていないか | 出ていればコンタミネーション。試薬・器具・作業場所を更新 |
| 阻害物質の有無 | 希釈試験 | 阻害ありなら希釈または再精製 |
| DNA純度 | A260/A280、A260/A230 | 規定値を外れていれば再精製 |
| 保存条件 | 抽出後の保存温度と経過時間、凍結融解回数 | -20℃で分注保存。可能なら当日完結 |
| プライマー | ロット、調製日、凍結融解回数、設計 | 調製し直して比較。設計自体も再確認 |
| 酵素・調製操作 | HotStartか。氷上で手早く操作できているか | 氷上調製を徹底し、酵素は最後に添加 |
| 反応条件 | アニーリング温度、サイクル数、鋳型量 | まず増える方向に振り、増幅確認後に締める |
| 抽出工程 | 破砕は十分か。夾雑物を吸い込んでいないか | 純度優先で再抽出。必要ならProteinase K再処理 |
注意:一度に複数の条件を変えると、増幅が回復しても原因が特定できません。復旧を優先する場面を除き、変数は1つずつ変え、記録を残してください。
8. よくある質問(FAQ)
Q. 抽出したDNAは冷蔵保存でよいですか。
A. 精製度の高いDNAを数日以内に使うのであれば冷蔵でも大きな問題は起きにくいですが、食品・環境試料由来の粗抽出DNAは、冷蔵で一晩置くだけでPCRが通らなくなることがあります。-20℃での分注保存を推奨します。
Q. PCRが増えないとき、まずどこから手を付けるべきですか。
A. コントロールの確認 → ヒアリングによる差分の洗い出しを行ってから、実験前の原因の絞り込みを丁寧に行います。いきなりPCR実験の反応条件を振って行うと変数が増え、かえって原因が分からなくなります。
Q. 条件を「増える方向に振る」と、非特異的バンドが増えませんか。
A. 増えます。これは診断のための一時的な措置です。増幅が確認できた後、アニーリング温度を上げる、サイクル数を減らす、鋳型量を減らすなどして特異性を回復させます。SNP判定系では特に、既知品種のコントロールで特異性を再確認してください。
Q. 何日試しても原因が分かりません。
A. 変数を一度に1つだけ変えて記録を残すこと、そして一旦すべてを成功している条件に揃えてから1つずつ戻すことをおすすめします。
なお弊社では、本記事のようなゲル電気泳動像の解析とトラブルシューティングを支援するAIツール Gelyze を提供しています。泳動像をアップロードするとバンドサイズと濃度を再現性のある形で測定でき、「なぜ増えなかったのか」を対話しながら切り分けられます。

